『ダイヤのA』第5巻

『残り2つの一軍昇格枠をかけた二軍最後の練習試合、対黒士館戦!!
クリスの出場で、沢村は投手としてさらなる進化を遂げ、試合の流れも青道ペースに!!
だが、クリスを知る敵ベンチの男・財前の策で、沢村とクリスのバッテリーは窮地に追い込まれ…!?』

単行本第5巻 表4あらすじより

第32話「打者の力量」~第40話「合宿スタート」収録

 

色々な人に良い絵だと言われたと言われる5巻表紙の師弟。

 

御幸『ははっ はっはっはっ やっぱアンタはこーでなきゃな!! クリス先輩』
4巻の御幸の台詞なのですが江戸っ子(?)属性が強いですよね。
それが47巻では『俺はこの人に一生勝てない気がする──』になるのですから、
人間の成長とは怖ろしい。そんなわけで第5巻の感想です。

 

第32話「打者の力量」
なぜかバントだけは上手い沢村。
『期待に応えなきゃ男じゃないよね!』と俺っち。この曲者感、個人的にとても好きでした。

アニマル『選手の気持ちは選手にしかわからない 慣れない文化慣れない環境 俺も現役時代はただひたすらバットを振った 日本というこの異国で自分の存在を証明するために…… お前が後悔しなければそれでいい──…』

アニマルのこのモノローグからクリス先輩の表情(目に光)涙腺崩壊でした。
クリス先輩は自分の「この先」を見据えながらも、それでも最後の最後まで「選手」で在り続けようとしているわけです。物語を読み慣れている人ならばこの先の展開が読めてしまう。『ダイヤのA』とは結果がすべてのスポーツ漫画において、大切なのは「結果」ではなく「結果に辿り着くまでの過程(努力)である」と言いきる為の物語であるという覚悟を見せつけた瞬間でもありました。
この時、私は気付くべきでした。
「結果に辿り着くまでの過程(努力)である」という理想を描くということは、過酷と痛みが伴うものだということを──。

稲実戦の勝敗を決めずに描き始めた先生がある結論に思い至ったの理由が今ならとてもよくわかります。わかりますとも。

黒士館ベンチに寝そべるクリス先輩と同じシニア出身だった財前登場。ベンチでの態度等、今から考えられないのですが……漫画的表現優先の演出。私は好きでした。何でもリアルに寄せれば良いというものでもないと思うんですよね。

財前のアドバイスによってクリス先輩狙いの作戦へと出る黒士館。
肩が本調子ではないクリス先輩は悪送球──!

沢村『俺はまだクリス先輩に何も返していない──!!』

師弟、アツいですね!

 

シニア時代のクリス先輩と財前の回想。
甲子園で相見えることを夢見た二人は不運にも怪我を負い、再会したのは青道高校二軍の練習試合──運命とは皮肉なものだと思わされるシーンです。

財前『俺の期待を裏切るんじゃねぇぞクリス……』
クリス先輩『ああ お前こそな 財前』

これが後の大きな伏線となります。

財前『ったくダセェよな 甲子園どころか試合に出るのもやっとだとはよ』
クリス先輩『ああ お互いにな』

 

これが俺に与えられた最後のイニング
わずか3回のピッチングだったけど 俺はクリス先輩に
少しでも成長した姿を見せることができたんだろうか……

さ、沢村栄純──!!

試合の結果は作品の方でご覧下さい。

 

第37話「強くなれ」
片岡監督によって選手たちが集められ一軍昇格メンバーは発表されます。

選ばれなかった三年生たちだけを残して解散に。この後の片岡監督の言葉と三年生達の『俺達の夏はここで終わったんだ──…』に胸が締め付けられる思いになります。その場に泣き崩れる三年生達の中でクリス先輩だけは微笑んでいました。野球に殉じた彼の横顔は神々しいものすら感じます。

『すごいのはあの人なんだ』と監督へ掛け合おうとする沢村。
それを止める哲さん達の覚悟。
哲さん『俺達に出来ることはただ一つ…選ばれなかったあいつらの分まで強くなることだ』

御幸『これでもう とことん突き進むしかなくなったな 俺も…お前も…』
沢村栄純と御幸一也のバッテリーが本格始動する瞬間とも言えるシーン。天才である御幸が沢村栄純を「認めた」記念すべき瞬間でもあります。クリス先輩からの沢村を「託された」ことを御幸は肌で感じとっていたのかもしれません。

『強くなれ──』

よくダイヤには「強さ」という言葉が出てきます。その「強さ」とは人間的な強さであるということが様々なエピソードで描かれます。試合に勝利する。三振を取る。ホームランを打つ──こと即ち「強さ」ではないことが執拗なまでに描かれます。アニマルの言う『今も根強く残る日本の精神論 あんな真夏に投手を連投させる甲子園などアメリカじゃ考えなれない大会だゾ』は正論とも言えます。プロの選手を育成させることのみが高校野球における目的とするならば、ですが。

これは野球に限らないことですが「プロになる」というのは夢における一つの道であって、プロ=成功者」的に考えてしまう人というのは、なんとなくそこで止まってしまう気がするのですね。どんな道を選ぼうとも「そのもの」を愛し抜いていくことが私には大切なことのように思えます。

 

第40話「合宿スタート」
一年生トリオの表紙が微笑ましい。部活漫画のおける合宿回が好きな人、挙手。
結城世代の一挙一動に尊みを感じれる回でもあります。
倉持『ヒャハハハ 亮介さんも嫌だろーな 兄弟でしかも同じポジションなんて……』
様々な二遊間解釈があると思うのですが。
じつは私は稲実戦前まで倉持と亮さんの間には一定の距離があったと考えていたりするんですね。だからこの『亮介さん』呼びも当然なものに思えていたりもして。二遊間のコンビとしての繋がりであり、それ以上でもそれ以下でもなかったというか。二人共、仕事人気質な面もあるので馴れ合い的なことは好まなかったのかなあ、と。ただ、二人で練習を重ねて苦楽を共にした時間だけがある──それが信頼関係に繋がっているのかしらとか。あの亮さん相手に倉持が他部員たちに接する時のような悪ノリを求めるとも思えないんですよね。だから声優さんの解釈(亮さんにだけはやさしい)はなるほどなあ、と。

 

※二遊間のことになると止まらない。ここはそういう場所です。

 

正直、47巻まで走りきれるかわからないのですが、三年くらいかけて横道に逸れつつやっていこうかと思います。

今でも渡辺くんがバットを振り続けるような気持ちで。